支援者インタビュー|足立 隆

人事

プロフィール

1990年生まれ。兵庫県尼崎市出身。近畿大学卒業後、外資系アパレル企業での勤務を経て2015年に株式会社リクルートキャリア(現リクルート)に入社。約4年間、人材紹介の営業として中小企業100社余りの採用支援を実施。ベンチャー企業勤務を経て2020年に独立。現在は主に関西の中小、ベンチャー企業に対してハンズオン型の採用コンサルティングを展開。強みは仮設構築力とエージェントに対しての巻き込み力。趣味はスポーツ観戦(ラグビー、野球、格闘技など)とデパ地下巡り。


ーーお問い合わせいただいたきっかけを伺っても良いですか?

東良さんのことを以前から存じ上げていて、共通の知人も何名かいるんです。
関わりはなかったんですが、同じプロジェクトに同時期に参加していたこともあり、優秀な方がいらっしゃるんだなと認識していました。

自分の居心地の良さを大事にしすぎていても、自分の成長にも新たな発見にも繋がらないので変化し続けたいと思っていて、
改めて、東良さんのSNSや創生アドバイザリーのHPを拝見して、ビジョンが素敵だなと感じてお声掛けしたのが最初です。

ーーお話しされてみて、いかがでしたか?

お会いする前は、結構ゴリッとした印象を持っていたんですが(笑)めちゃくちゃソフトでお話しやすかったです。

優しい人だなぁと思った一言があって、「今困ってることないですか?何かあったら助けますよ」と初対面で言ってくださったんです。

人材畑出身なことや共通の知人がいるなど、共通項があるとはいえ、初対面でそう言ってもらえたことがめちゃくちゃ嬉しくて感動しました。

ーー想いに共感してくださって嬉しいです。ここからは足立さんのご経歴に触れていきたいのですが、まず子どもの頃について教えてください。

小学校くらいまでは内気で、体の弱い子供でした。
兄弟の末っ子かつ親戚の中でも一番下だったんで、割と甘やかされて育ったのかなと思っています。

中学校は受験をすることになるんですが、無理やり勉強をさせられて行ったような感じだったので、自分自身あんまり勉強に対してモチベーションもなく、思うような結果も出ず。

人生で一番最初に挫折したのが、中学受験の時だったのかなと思います。

ーー 挫折を経験しながらも、中学受験を諦めることはなく?

そうですね。
無事合格した中学ではラグビーを始めて、友達もたくさんできたり、練習に打ち込んで怪我をしたり。ラグビーに熱中していた3年間でした。

ーー高校生活はいかがでしたか?

高校は内部進学でそのまま上がったんですが、当時はかなり校則が厳しくて。
子供ながらに、社会の理不尽さとか、大人って結構都合のいい生き物なんだと感じていました。
本音を打ち明けたのに自分の意図や事実が曲がって第三者に伝わっていた経験もあって、本音で話しすぎるのも良くないんだとも思っていました。

そういう気持ちを何か結果で見返してやろうとは思えず、どちらかというと他責にしてしまっていたと思います。

ーー大学生活はいかがでしたか?

サークルやアルバイトを楽しんで、友達にも恵まれながら大学4年間を過ごしましたね。

中学時代から洋服が好きだったので、アパレルのアルバイトを始めました。
大学生のアルバイトは当時僕だけだったので、めちゃくちゃ働いてめちゃくちゃ遊ぶ周りの社会人を見て、「そういう大人かっこいいなぁ」って思っていました。

ーーオンオフどちらも一所懸命な姿が魅力的だったと。

ラグビーを辞めてからは何をしても続かなかったんですけど、アパレルのバイトは大学1年生の後半〜卒業まで、続けることができました。

その時「もしかしたら自分って好きなことだったら続けられるのかもしれない」と思い、洋服の魅力を伝えれるような人になりたいなと考えるようになって。

ファッション関係の企画や繊維商社の営業職を志して、就職活動を始めました。

ーーご卒業以降はいかがですか?

結果、志望先にはご縁がなく、外資系ブランドの販売員に内定を頂きました。
就職浪人することも考えたんですが、親を安心させたい気持ちから、大手企業の安定感に魅力を感じて入社しました。

ーー1社目について簡単に教えてください。

社会人1年目、右も左も何も分からない状況とも重なっていたので、いろんなことがありましたね。

2年目には僕に期待してくださる先輩と出会ったことがきっかけで、主体的に行動することが増えるようになり、結果も出て仕事を楽しめていました。

ーー先輩との出会いでモチベーションが生まれたんですね。

チームよりも個人主義の傾向が強い職場だったこともあってか、
店舗やチームのためを思って働いていた自分の志向とは違うなと感じることがあり、転職を意識するようになります。

ーーなるほど…

中高時代から付き合っている友人から仕事の話を聞くようになったことも、自分の環境を見直すきっかけになりました。

自営業をしている父の姿を見ていたので経営者に憧れもあり、このままじゃいけないと思い立って転職活動を始めました。

ーー経営者への憧れは、物心ついた頃からあったんですか?

そうですね。実家の1階が事務所だったので、仕事風景が身近にある環境でした。

父はもちろん楽ではなかったと思うんですけど、自分のペースで時間に縛られることなく働いているところとか、経営者として事業者とやり取りしてる姿とかを見て、
「自由でいて裁量がある姿、かっこいいな」と子供ながらに感じていて。

自分もなんとなく、サラリーマンじゃなくて経営者になるんだろうなとか、会社に行かずに働きたいなと思っていました。

ーー継ぐ選択肢は考えておられたんでしょうか?

後の話につながるんですが、すぐにはなかったですね。自分が目を背けていた部分でもあります。
実家は工務店なんですが「自分は理系じゃないし」とか「今じゃないな」という気持ちが拭えなかったです。

ーー後の話、まずはご転職後について伺えますか?

リクルートを使って転職活動をしていて、結果、リクルートに入社します。
その時も自分がどうしたいのかを言語化できずにモヤモヤしていたんですが、
リクルートの求人を見た瞬間に、このビジネスに携われば自分が成長できる!と直感的に確信しました。ビビッとくるタイプの直感です。

ーービビッと、まさに運命的な出会いですね。入社後のご活躍について教えてください。

入社後は、人材紹介の法人営業部に配属されました。
中小企業の担当だったのでいろんな企業の社長さんとお会いすることもでき、社内もチームで働く意識があって成長意欲も高い組織だったので、優秀な人も多く、本当に刺激的な環境でした。

もちろん売上の上下はありながらも、自分の強みや経験を活かして上手く立ち回れて、表彰いただけることもありました。

ーー前社は個人主義の組織だったとおっしゃっていましたが、2社目ではチームで働く環境だったんですね。チームプレーであることは、足立さんの強みをより活かすことができるポイントなのでしょうか?

実際に気が付いたのは入社してからだったのですが、まさにそうだと思います。

自然とやっていた仕事上のクセの一つに「人のことを模倣する、真似をすること」がありました。リクルートでは良い仕事をチームや組織で共有する文化が根付いていて、上手くいっている先輩や上司などの仕事をパクリまくってました(笑)

ノウハウを隠さず共有する雰囲気は自分にとってやりやすかったです。全くリレーションのない他拠点の表彰者に電話して仕事を聞くこともありましたね。

ーーなるほど、社風も相まってより強みが活かされていたんですね。

そんなある日、事件が起こるんですね。

ーー事件…?

母親が乳がんに罹りました。
母親が仕事を手伝うこともできず、ちょうど家業も傾き始めている状況。そんな中での父親の姿を見るのが辛く、込み上げるものがあって…

「実家を継ぐためにリクルートを辞める」と決意し退職交渉をしに行ったんですが、

当時2015年か16年で、当時は珍しかった副業が会社で認められていたこともあり、
『全力で支えるから、リクルートでも頑張りつつ実家のことを副業として頑張ったらいいじゃないか』と上司に言ってもらえたんです。

日中でも、融資の打ち合わせに銀行に行ったり、父と打ち合わせをしたり。
土日は母親の看病をしつつ、家業の新規営業のために1日50件以上架電をしていたり。

飲み会に行くことはなくなり、全く遊ばずにずっと働いていました。

ーー急に環境がガラッと変わった時だったんですね。

そうですね。将来への不安から顔面神経痛に悩まされたりとかですね、今思い返すと精神的に辛い時期を過ごしていました。

ーーご自身も、ご家族も大変な時期でしたね…

母親の体調は回復傾向に向かったものの、事業は上手くいきませんでした。

父と打ち合わせを重ねる中で、新規取引先を増やしていく戦略を立てていたんですが、
僕が入ることによって利益率の低い仕事ばっかりを取ってしまい、結果的に父親を疲弊させてしまったんです。

自分自身が培ってきたビジネス力の不足を自覚し、リクルートで結果を出せていたのも「結局は大手看板に頼ってたんだな」と感じて、強烈な葛藤がありました。

それから、自分自身は本当にこの仕事がしたかったんだっけ?親のために仕事してるって何なんだろう?と考えるようになって。

継ぐつもりで副業を始めたものの、継ぐことを辞める決断をしました。

ーー葛藤を経て決断されたんですね。それからリクルートに専念されるのでしょうか?

そうですね、1年半ほど専念していましたね。

社内のメンバーも取引先のお客様までも、本当に懐が広く色々と話を聞いてくれて、
自分自身の気持ちを整理していると「何らかの形で実家を助けたい」そういう気持ちが沸き立ち、諦め切れないなと思いました。

不動産仲介のスキルを身に付ければ、自分が仕入れた物件に対して、父に家を建ててもらうなどで実家を助けることができるんじゃないかと考えて、不動産仲介会社に転職しました。

ーー不動産業での営業職、いかがでしたか?

色々と携わる中で、駆け引きが必要な営業の仕方が向いていないなと実感して悩んでいました。
そんな時に2度目の事件。今度は父親の病気が発覚したんです。

助けたかった家業も無くなってしまい、悩みも相まって、改めて人材業界で頑張りたいと思いました。

真っ当かつ誠実に、ロジカルかつフランクに。誰もが必ず持っている ”輝ける場所” の存在を知ってもらいたい。

ーーそれで改めてリクルートへ?

いえ、先輩の紹介でベンチャーの人材会社に入社しました。
これまでのリクルートのお客さんや自分の人脈を活かしながら、半年ぐらい営業してたんですけど、ふと「1回自分で勝負したい」と思って独立しましたね。

3年ほど個人で採用代行や営業代行を中心にやっていて、会社としてちゃんとやっていきたいと思ったので4年目で法人化して、今に至ります。

ーー「やっぱり採用代行や人材紹介をやっていきたい」と思われたきっかけや、人材業に対する想いを伺えますか?

2点あって、1点目は人材の仕事が好きだと気が付いたことです。

一度人材ビジネスから離れることで、求職者の人生の転機・企業の事業成長に関わることができる”やりがい”を客観的に見ることができ、人材の仕事が好きだと改めて実感しました。

2点目は自分だからできる仕事があるのではないかと思ったことです。
就職活動の失敗、事業継承での挫折、異業界への転職で感じたギャップ、様々な経営者やマネジメント層の方を外部・内部から複数の会社で見れたこと。
自分自身が順風満帆なキャリアだったわけではないと思っているからこそ、こういった経験が企業や求職者に寄り添うための引き出しになると考えました。
人材業を通して「それぞれに必ず、輝ける場所や生き生きと働くことができる環境があること」や「仕事でしか得ることのできない達成感や働く喜び」を知ってもらうことが目標ですね。

そうすることで企業側の事業成長にもつながると思っています。

ーーとても想いが伝わってきます。お仕事をされる上で大切にされていることはありますか?

真っ当かつ誠実に。正しいことを正しくする。っていうことを一番大事にしています。

紹介料やコンサルティング料という形でフィーを頂いてるとはいえ、
商材が ”人” である以上、大事な指針は「身内にできないことはやらない」です。

身内にできないことを他人にするべきじゃないし、本当に嘘偽りなく誠実に対応するってことは絶対大事にしてますね。

ーー根底にある大事なことですね。

正しいのかな?お客さんのためになっているかな?と考える時は、その指針に立ち戻るようにしていますね。

ーー人材紹介とRPOをされているとのことですが、現状どのような割合で携わっておられますか?

圧倒的にRPOの方が多いです。

中小企業とやり取りすることが好きだということもあって、関西の地場の企業さんや、最近だったら友達とかも起業し始めてたりするので、そういったベンチャー企業でRPOをさせていただいています。

ーーご友人と仕事の関係になると、コミュニケーションを取るのが難しそうなイメージがあります。

1ヶ月目はそれこそ意見が違うこともあったんですが、ある程度ルールを決めて、腹を割って本音で話すことで円滑に進んでいます。
仕事上は友人ではなくお客さんだと思ってコミュニケーションを取るように意識しているので、上手く行ってるのかなと思います。
 
その他のお客さんに対してはルールを設けるとかではなく、日々の対応や行動で信頼してもらえるように動いています。

ーー足立さんの強みは何ですか?

様々な企業やオーナーさんがいらっしゃって、様々なニーズがある中で、事実ベースで自分の意見をしっかり伝えられることです。

リクルートでずっと中小企業を担当してきたからこそ、
ロジカルさだけでなく、ビビらないコミュニケーションが取れることも強みだと思っています。

ーー今後の展望を可能な範囲で教えてください。

正直、従業員を抱えて会社を大きくしていきたいっていう希望は現時点ではなく、質の高い仕事をしていきたいなという風には思ってますかね。

自分の中の美学として、職人っぽい人がかっこいいなって思っていて。父の姿や周りの先輩の姿を重ねているんだと思います。

採用のパートナーとして長くお付き合いできるような会社さんを、少しでも自分の目の届く範囲で増やしていきたいです。