支援者インタビュー|東良 亮
コンサルタント人事営業
自己紹介
1986 年兵庫県宝塚市生まれ。
同志社大学経済学部卒業後、2011 年に独立系保険代理店に転職。 支社長および新規事業立ち上げに携わり、15 名~30 名の組織管理を実施。2015 年に人材会社 パーソルキャリア株式会社へ転職。 6 年間事業会社の採用コンサルティングとヘッドハンティングに携わり、トップセールスとして複数回表彰を受ける。2020 年2 月に創生アドバイザリーを創業。主に年商5億〜50億の中小中堅企業やベンチャー・スタートアップの経営支援を生業とする。
ーー幼少期から学生時代について教えてください。
出身は兵庫県の宝塚市。不動産会社で営業をしていた父と専業主婦の母との3人家族なんだけど、2人ともウィンドサーフィンをしていて、真っ黒ですごく派手な人(笑)
両親と比較したら大人しい子供だったと思う。
小学校4年生くらいまでは、授業中じっと話を聞いていないタイプの子供だったな…。悪気は一切なくて、遊びに行きたいから遊びに行くって感じ。
携帯がなかった時代だから仕事の電話は家にかかってくるんだけど、大変そうな父の姿を見て、会社員って大変だ…社会って嫌だな…と思ってたね。
ーー社会へ不信感を抱くのが早いですね…
間近で親の姿を見てたからね。
ーー中学生以降はいかがですか?
中高は私立で、初めて特進コースができた年に入学した。
朝6時前に家を出て、学校に着いたらテストがあって、日が沈んだ頃に帰宅してまた勉強。特進コースを抜けたくて転籍のためにもっと勉強したんだけど、結局行けなくて。高一からはさらに勉強して同志社の経済学部に行った。
なんの目的もなく大学に行ったから、授業もサークルも自分で決める環境に「なんだこれ」と思ってたんだよね…
親がウィンドサーフィンをしていたから、とりあえずボードセーリング部を選んだ。
ーー勉強に集中していた学生時代だったんですね。
根は真面目だからね(笑)ボードセーリング部も頑張ってて、関西で1位を取ったこともあるよ。
入部して3ヶ月経った頃には筋肉もめちゃくちゃついたし、大会前には先輩に赤髪にされたこともある。
ーー赤髪にするんじゃなくてされる(笑)
そう(笑)勉強以外の楽しさを知った時期でもあるかな。
経済学部だったんだけど勉強する目的がわからなくて。今なら商学部に行っておけば良かったと思うね。
興味を持ったことを色々とやってみるうちに、お好み焼きのアルバイトに出会って、飲食業って楽しいと思えるようになった。
飲食業に絞って就活を始めて、大手の飲食企業に入社した。
営業とマネジメントで不振店を立て直し続けた、新卒時代
ーー飲食に絞っておられたんですね。当時はどういった業務内容だったんですか?
当時アルバイトに全くマネジメントが効いていなくて、上からも下からも色々言われる環境だったんだけど…やる気のない子を統率して頑張ってもらうだとか接客を経験した。
その後に転勤で副店長になったんだけど、リーマンショックの年だったから、営業活動をしてやっとお客さんが来るくらい、全然席が埋まらなかったんだよね。
朝9時まで仮眠して、店長と一緒に宴会のパンフレット持って、近くの会社に営業しに行ったりして、やっと宴会予約が埋まったほど。
発注をミスるとダイレクトに店の経常利益に影響が出るから、そこのマネジメントもして、初めて財務諸表を見るようになったね。
ーー主に営業と数値管理の経験ですね。
そうしている内に、不振店とか問題のある店舗にアサインされるようになって。
毎朝エリアマネージャーから電話がきて数字の報告をするんだけど、
「いくら売るの?」「メンバー配置どうするの?」の怒涛の質問に答えられなかった瞬間めちゃくちゃに怒鳴られる(笑)
「前年同月同日の売り上げは?」『〜〜円です』
「今日の天候は?」『曇りから晴れに変わってます』
「単価は?」『〜〜円です』
みたいなやり取りを続ける内に、数字に強くなってきて。店を構成する数字が何かを叩き込まれた。
ーーまさに叩き込まれていますね…答える準備もしっかりされていたんだろうなと感じます。
今でもこの経験は活きているし、当時も強くなれた実感があった。
関西一管理が難しい店舗だったらしく、色々あってかなりメンタルを崩してしまったんだよね。結果的には辞めずに異動させてもらったんだけど。
異動先がまたかなりの不振店であまり忙しくなかったから、店の改善を頑張るようになった。そしたら、顧客満足度が関西一位になったり、アルバイトの皆が急成長したりして、成果を実感できたね。
ーーここから営業職に転職されていますよね。どういった背景があったんでしょうか?
父から転職を促されたことがきっかけかな。
転職活動を続けて、保険代理店に入社した。のはいいんだけど初日に僕以外クビにされたんだよね…
ーー東良さん以外全員!プレッシャーが凄そうです…
明日クビにされるかもしれないと毎日必死だったよ。
保険通販とかWEBの契約管理部にいて、8ヶ月で正社員登用してもらった。
うまく対応ができずに降格して、その数ヶ月後になぜか店長に任命されて昇格、そこでやっと実績を上げられた。
社長から「降格した後によく頑張っているな」と褒められて本当に嬉しかった記憶があるね。なかなか人に褒められて嬉しいと感じないんだけど(笑)
それで事業法人部の課長を任せてもらって、初めて法人と接するようになった。
ーー初の法人営業はいかがでしたか?
どういうことを考えて経営されているのか、想定されているリスクとかをヒアリングした上で、ソリューションとして保険を提案するっていう仕事を1年くらいやってた。
前職で財務諸表を見てたことと、店舗経営をしていた分、経営者と話しやすくてね。やりがいを感じてた。
ーー20代は総じていかがでしたか?
飲食業の時は手取りが10万切ることもあったし、ガス電気が止まることもあった。だから当時はガス電気のおばちゃんが来た時の足音がわかるようになってた(笑)
20代は総じてすっごい大変な経験をしてきたけど、全部今に活きてるから良かったと思えてるよ。
経営者と相対することで見えてきた、企業が持つ本当の課題
ーーインテリジェンスでもご活躍されていたと伺いました。
転職を考え出した時に、インテリジェンスに相談しに行ったら「そんなに20代で苦労されているなら、うちで仕事しません?」って言われて。なるほど〜とインテリジェンスだけ受けに行った(笑)
結果2週間で内定を貰って、転職。2015年 29歳の時だね。
ーーどういったことにやりがいを感じておられましたか?
法人相手に個人を紹介してビジネスになっていく過程がすごく面白かった。
なかなか人を採れない IT 業界において、他がやっていない方法で人を採れるようにすることが強みだと自覚もできた。当時のリクルーティングアドバイザーの中では割と有名になれたはず。
先のキャリアを考えた時に、自分が思う最高の仕事をピンでしようと思って、エグゼクティブエージェントっていうヘッドハンティングの部隊に異動した。
全員年上だったんだけど、全員倒してやろう…と思えるくらいやる気がめちゃくちゃあって全部隊で1位を獲れた。
ーーお話の節々から感じる、勢いというか、そのエネルギーの源は何でしょう…?
先方サイドの状況が全く違うのに自社内で謎の競争があったりして、そこで培ったね。競争心は今全然ない。
ーーなるほど。人材業界で経営者との接点が増えたのでしょうか?
そうだね。経営者と人材どうこうの前に、会社経営について話すことが増えたんだけど、それって採用の話ではなくて事業戦略とか経営者自身の問題ですよね、ってなることがあって。でもその話し合いをしたからってお金が入るわけではないし。
色んな会社から声をかけてもらっていたけど「どこに行ってもすることは同じかも」みたいな感覚を持ってしまってた。
ーー採用の手前にある課題。企業によって状況は様々ですよね。
その頃たまたま、今も役員として参画させていただいてる、SASI Design (現 株式会社SASI)の代表に出会った。
タイミングよく多可町商工会の専門家派遣が始まって、専門家派遣事業の立ち上げと自分自身が専門家になって派遣されるっていう経験をした。
飲食業のマネジメントから保険の営業、人材事業まで、専門的な職種以外の「人材と組織と業界」に触れてきた経験からアドバイスをすることができた。
一般的なコンサルタントが発しないような内容を話して、成果を上げられるようになった時に「この仕事をもっとやってみたい」と強烈に思った。
ーーご自身の経験を活かした様々な視点から、今までにない活路を提示されるようになったと。
やりたいと思った2ヶ月後には退職して、さらに数ヶ月後に個人事業として創生アドバイザリーを創業したっていうのが経緯。
地方活性化の鍵は、地方の中小企業が元気になること。経営者と一緒に、本気で取り組んだ景色が見たい。
ーー転職ではなく創業を選択したのはなぜですか?
やりたいことをそのままできる会社がないと分かっていたからかな。
人材事業を経験した時に、自分の売り上げが利益になる感覚が身に付いていたから恐怖心もなかった。
ーー創業してからはいかがでしたか?
最初は自分の信頼貯金を使った採用絡みの仕事が多くて、上場企業から地元の不動産企業まで、RPO中心に幅広く携わらせてもらってた。
やっぱりやりたいことは「地方中小企業の経営支援」だと明確だったからこそ、人との繋がりの中で困っていることを相談してもらって、それが仕事になっていく過程を踏んでいった期間だったと思ってる。
キャリアを構成している要素としては「営業」と「マネジメント」が強くて。
困っていることを立て直すことと、なかったことを一から立ち上げること。それが今の創生アドバイザリーの事業開発や営業、人事に一貫して繋がっていく感覚を持ってる。
ーー創生アドバイザリーとしての在り方にも繋がってきていますね。
そうだね。
最近は、特定の会社の支援を続けることによって「この企業と企業を繋げたら、両社のこの事業が先に進めるな」とかが見えるようになってきて。支援が点だったのが、面になっていく感覚を持ててきてる。
やっぱり何よりも大きいのは1人じゃなくなったこと。仲間が出来て、1人の限界を超えて会社としてできることが増えてきた。
だからこそ、もっとチームの輪と支援の範囲を広げていきたいし、支援者が創生アドバイザリーの仕事を通して出来ることが増えていく、ないしは、この仕事に意義があるんだと思ってもらえるようになってもらうことにやりがいを感じてるね。
ーー支援者 事業者問わず、どういう方達とお仕事がしたいですか?
地方の中小企業が元気になることが地方活性の鍵になると、自分で信念を持っているからこそ「自分こそが中小企業である」「地元を良くしていきたい」「自分こそがその活動に参画したい」と思う方とご一緒できると嬉しいかな。
大手企業になるほど役員の技量に依存している傾向があるんだけど、中小企業って経営者そのものだから。困っている経営者を助けたい、だからこそ中小企業者に相対したい。と心から強く思ってる。
ーー20代の個人的な競争心が、今は支援者とチームで企業を立て直すための熱量に変化している印象ですね。
確かにそうだね。何をするにしても本気でやりたい。
本気でやるモチベーションになれていない、疲れてしまった経営者にとって、本気の奴が1人いるだけで全然雰囲気が違うはずで。
本気でやった結果の景色を、経営者と一緒に見たいと思ってる。